雪の贈り物
私は夕方、いったん家に帰り、何かの用事でマンションの立体駐車場から、もう一度、車を出そうとしていた。
ふと気が付くと、私の斜め後ろに、顔見知りの男の子が立っている。この子の母親が中国出身で、家内とよく話をするので、知っているのである。確か小学二年生だったか。ちょっと太めの、かわいらしい子である。しかし何をしているのだろう、と思っていると、男の子が言った。
「パパを待ってるの」
そう言って、少ししてから、まるで本音を打ち明けるかのように付け加えた。「雪を見に来たの」そう言って、空を見上げた。顔がうれしそうである。
ああ、そうか。われわれ大人は、雪なんてやっかいだ、と思っているけれど、明石の子どもたちにとっては、胸躍る待望の雪なのだろうな。自分も子どもの気持ちを残していると思っていたけれど、いつの間にか、雪にわくわくしない大人の心になっちゃっていたんだな。
「明日はきっと積もるよ」
私はそう言った後、根拠もないのに安請け合いをしてしまったな、と少し後悔した。私が車を出した後も、男の子はその場に残っていた。
しばらくして、私は用事を終え、もう一度、車を駐車場に戻していた。さっきの子はもういない。代わりに、やはり同じマンションの住人である、小学6年生くらいの男の子が、マンションから出てきた。端正でかしこそうな顔をしている。
この子のことは知っている。10年ほど前、マンションの管理組合の委員をしていたとき、この子のお母さんも委員だったからだ。お母さんは、まだ赤ちゃんだったこの子をベビーカーに乗せて、委員の会合に参加していた。だから、その時からこの子のことは知っているのだが、この子はたぶんそのことを知らない。ことばを交わしたこともない。
男の子は、立体駐車場の前のスペースの中ほどに立っていた私には目を合わさず、すました顔で、私と立体駐車場の間を通り抜けようとした。しかしそのとき、男の子はちょっと足を止めて、駐車場の柵の上にうっすら積もっている雪を、まるでいとおしいものであるかのように、そっと一握り、掻きとっていった。
ああ、この子も、内心は雪にわくわくしているのだ。この子も、さっきの男の子と同じで、まだ子どもの心を持っているのだなあ。
この大寒波を、明石の子どもたちは、私たち大人とは全く違う気持ちで、迎えたのに違いない。彼らにとって、雪は天からのすてきな贈り物なのだ。